コミュ症になった理由の考察と、コミュ症を治そうとしている話
この記事は単なる自分語りで、過去の闇を約1300字にわたり綴ったものである。誰かの役に立つから書いているわけではなく、単に自分が置かれた状況を整理し、気持ちを吐き出すために書いた。
読み終わるには3分ほどかかるので、自分語りが嫌いな人や長文が苦手な人は静かにブラウザーバックしていただきたい。
私はもともとあまりメンタルが強い人間ではない(友達からのLINEでさえ怖くて見られないことがあるくらい)ので、おそらくコミュ症になった原因は4年くらい前に、ある女性に言われた一言だと思われる。「微妙に親しい」人だったので、微妙に親しい人との会話が苦手だ。「親しい」人と「まったく親しくない」人とは普通に会話できる。
それ以来、人、とくに女性と会話するのが怖くなり、自然と避けるようになった。あるいは、メンタルが弱くなったのはこのときからかもしれない。小学生のとき、いじめられていたことがあった。そのときは普通に対抗していたし、メンタルも今より強かったと思うから、やはりその一言で傷つきメンタルが弱くなったのかもしれない。もしくは、そのいじめの件との一種の相互作用によるものかもしれない。
相手にとっては何気ない一言で半分冗談だったのだろう。いや、もしかしたら本気で言っていたのかもしれない。いずれにしても、おそらくはそれが原因で人と、とくに女性と関わることを避けるようになった。一部のとくに仲のいい同性の友達以外はあまり信じられなくなり、関わることが減った。それまでは異性・同性にかかわらずよく会話していたのに、だ。
それから今日に至るまで人と関わるのが怖くなり、自らの殻に籠り人との関わりを避けてきた。対人恐怖症だとか病気だとか、そういった類いのものではないと思われるが、その日以降人と会話することが極端に減ったことは紛れもない事実である。
コミュ症の誕生だ。
記憶によれば、その一言からしばらくは怖くて会話することが減り、それ以降は「怖い」という一種の先入観とでもいうべきものによってこの状況が続いているようだ。そのため、どうしても話さなければならないことがあるとき、あるいは相手から話しかけられたときには、一応は普通に会話できる。
しかしながら、こちらから話しかけるのは「見えない壁」があってできない。それでも、このままでいるわけにはいかないので、先週から改善の努力をしている。
もともと会話自体は好きだったので、一度話し始めればまったく怖くないし、ある程度は会話できるのだが、やはり数年前と比べると明らかに会話力が落ちているように思う。
まだ自分から話しかけるのは怖いのだが、こうした「会話が怖くない」という当たり前の事実を少しずつ積み重ねていく他に、コミュ症を治す方法はないだろう。前述のように話すこと自体は好きなので、非常にもどかしい思いをしているわけだが、それでも「過去の負の遺産」と戦わなければならない。
果たして、コミュ症を治せるのか(いや、なんとしても直さなければならないのだが)温かく見守っていただきたい。
追記
長期戦を覚悟していたのだが、どうやらこの戦いは早期に決着がつきそうだ。
上記の文章は、3日ほど前に書いたものだ。その時点ではまだ女性と会話するときに少し緊張していたのだが、文章を書いた次の日、つまり2日前にはそういったことがなくなった。「慣れ」の恐ろしさを感じつつも、女性に囲まれても何も思わなくなったし、状況によっては女性と4対1で普通に雑談できるようになった(自分でも急に変わり過ぎでは、と思う)
やはり、もともと会話は好きだったので、1からコミュ症を治すというよりも「リハビリ」に近いから少しの努力で大きく改善されるのだろう。もっと早く始めればよかった。
ちなみに、今朝はたくさん会話をした(当社比)。非常に楽しかったのだが、1つ興味深いことが判明した。その日一日、気分が良かったのである。これは、単に偶然か思い込みかもしれないが、会話が好きで実際楽しいことには変わりないのでこの調子で努力したい。
最後に、こうしてコミュ症を治そうと決意して実際に行動へ移し、成果が出ているのは周囲の温かい人たちのおかげであることは疑う余地がない。おそらくこの文章は読んでいないが、ひっそりと、しかししっかりと、感謝したい。